徒然草にこんな文章がある。

 能をつかんとする人、「よくせざらんほどは、なまじひに人に知られじ。うちうちよく習ひ得てさし出でたらんこそ、いと心にくからめ」と常に言ふめれど、かく言ふ人、一芸も習ひ得ることなし。いまだ堅固かたほなるより、上手の中に交じりて、毀り笑はるるにも恥ぢず、つれなく過ぎてたしなむ人、天性その骨なけれども、道になづまず、みだりにせずして年を送れば、堪能のたしなまざるよりは、つひに上手の位にいたり、徳たけ、人に許されて、双びなき名を得ることなり。
 天下のものの上手といへども、初めは不堪の聞こえもあり、無下の瑕瑾もありき。されども、その人、道のおきて正しく、これを重くして放埒せざれば、世の博士にて、万人の師となること、諸道変はるべからず。(一五〇段)

 一芸を身につけるには、引っ込み思案や妙なプライドは禁物である。天分がない人でも、熱心にたゆまず努力すればその道の達人になることができ、名声を得ることができる。

話の要点は、芸の道は長い錬磨にと弛まぬ努力によって体得できるってことか。

俺が誇れることがあった。

何か始めるときにさっさと人に話すこと。
有言実行を目指したい・・・。
できるかどうかは分からないが、人に「今度〜やるから」と宣言する。

この点で言えば、兼好法師の「能をつかんとする人」の第一条件はクリアかな。

ただ、未熟なウチから上手な人に混ざってやることは好きだが、悪く言われたり、笑われることは恐れているかもしれない。
それが修行の停滞に繋がる・・・。
さらには自己流に走りやすい・・・。

その点はおおいに反省。

中島敦「山月記」の中の「臆病な自尊心」「尊大な羞恥心」。

人の反応を気にしすぎるのはまさに「臆病」。
なのに、強がって突っ張って突き進もうとするのは「尊大」さ。

プライドとポリシーに振り回され、凝り固まるのが成長を妨げる。

一事を成そうとしているんだ。
小事にこだわるのは論外。

自信過剰どころか自信などない。
ただ、自分を信じたい。
自分は何が好きなのか、何をやりたいのか・・・。

そしてそんな共通の思いを持った仲間を信じる。
焦るのではない、楽しいから急ぐんだ。

空路は空っぽの路。
未知なる可能性を秘めた路。

何ができるか、どこに繋がるか、ダレが歩むか分からない。

それってワクワクしませんか?

koo-roは表現を遊んじゃう奴らの集合体。
みんなで一緒に果てしない旅に出ませんか?

            遊劇旅団空路〜koo-ro 

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