「キミは何がやりたいんだい?」

その言葉・・・今、一番の悩みを一直線に貫く。

「人間いつ死ぬか分からない。ならやりたいことをやろうよ。」

その人の生き方を聞いているウチに自分のやりたいことがとても小さいモノに感じられた。
価値がないことだという意味ではない。
何も特別なことではなかった。

自分は人の幸せが嬉しい。
きれい事ではなく、素でそう思うことがある。
人の笑顔をみていたい。
多くの笑顔を生み出したい。
エゴであろう。
しかし、偽善者のようなことをまじめに願う。

長老がよく言っていた言葉が何となく理解できてきた。

「演劇は何も小難しいモノをやる必要はない。やる側がよく分かっていないモノがどうして伝わるんだ?見てる人に理解されて初めて演劇は成り立つんだ。自分たちがやりたいだけの自己満足なモノをやるな。子供から年輩者までが同時に笑える芝居は楽しいじゃないか。ドサ周りして、お捻りが飛んでくるような舞台だって良いじゃないか。何がやりたいんだい?最近の役者はタレント性しか求めないモノが多い。自己顕示欲だな。自分が舞台に立っていればそれで良い、そうじゃないだろ!観客を楽しませる責任がある。プロもアマも関係ない。」

演劇はエンターティメント、パフォーマンスなんだ。
大衆演劇なんて言葉をつかうと軽いモノに感じる。
しかし、演劇のルーツは歌舞伎や能からである。
歌舞伎座なんてモノは吉原の隣に置かれていたわけで。

歌舞伎や能という古典芸能、今では舞台芸術と言われるモノだってさらに遡れば民衆の中にあった神楽や田楽、まとめて農村歌舞伎。

何も特別なことではない。
みんなが楽しんだモノであった。

もっと身近な存在で良いのではないだろうか?
大上段に構えすぎて堅苦しくなっているか、商業ベースで普遍化を狙いすぎたモノか、または普遍化を嫌って砕けたコアな舞台か・・・。
最終形態がそうであれば立派な定着であり、ウリとなる。そうではなく、最初から「狙いすぎ」は単なる背伸び、上を見すぎるとひっくり返る。

群馬は演劇不毛の地と言われるがそうであろうか?
農村歌舞伎の存在数や現存数は全国的にみても多い群馬。
古典芸能としてではなく、民衆の生活の一部として演劇を楽しむ土壌はある。
では、なぜ「文化」として育っていないのか?
単に育つ機会がなかっただけであろう。
半端な中央への近さが潜在的なミーハー精神の基になっている。
育む意識のなさと、簡単に中央を目指す思考。
さらに目新しい派手さを追う。

「文化」とは何だろう・・・。
では、今からつくる演劇とは何であろう?
基礎に忠実な舞台が一番新鮮な気がしてきた。
では、基礎とは・・・?

自分がやりたいこと・・・。
何も特別なことでなくて良いから、みんなで笑顔になれるモノをやりたい。

今日の稽古

2004年6月15日
やっさんの帰還。

インドネシアに修行に行っていた彼は何かスペシャルな技を身につけてきた様子。

空中浮揚くらいはいけるか?


そうではなくて、サンバルに感動し、ワヤンクリに衝撃を覚えた彼の今後の演技に期待。

パワースピーチは疲れる・・・。

はりぃとハクイのコンビに対するツチ・・・。
ある意味かわいそうだった。

ナベちゃんの写真が楽しみだ♪

サマキヌが仕事で大変な中、疲労感を忘れて言い返す姿に感激!

次は木曜、20時から・・・。
徒然草にこんな文章がある。

 能をつかんとする人、「よくせざらんほどは、なまじひに人に知られじ。うちうちよく習ひ得てさし出でたらんこそ、いと心にくからめ」と常に言ふめれど、かく言ふ人、一芸も習ひ得ることなし。いまだ堅固かたほなるより、上手の中に交じりて、毀り笑はるるにも恥ぢず、つれなく過ぎてたしなむ人、天性その骨なけれども、道になづまず、みだりにせずして年を送れば、堪能のたしなまざるよりは、つひに上手の位にいたり、徳たけ、人に許されて、双びなき名を得ることなり。
 天下のものの上手といへども、初めは不堪の聞こえもあり、無下の瑕瑾もありき。されども、その人、道のおきて正しく、これを重くして放埒せざれば、世の博士にて、万人の師となること、諸道変はるべからず。(一五〇段)

 一芸を身につけるには、引っ込み思案や妙なプライドは禁物である。天分がない人でも、熱心にたゆまず努力すればその道の達人になることができ、名声を得ることができる。

話の要点は、芸の道は長い錬磨にと弛まぬ努力によって体得できるってことか。

俺が誇れることがあった。

何か始めるときにさっさと人に話すこと。
有言実行を目指したい・・・。
できるかどうかは分からないが、人に「今度〜やるから」と宣言する。

この点で言えば、兼好法師の「能をつかんとする人」の第一条件はクリアかな。

ただ、未熟なウチから上手な人に混ざってやることは好きだが、悪く言われたり、笑われることは恐れているかもしれない。
それが修行の停滞に繋がる・・・。
さらには自己流に走りやすい・・・。

その点はおおいに反省。

中島敦「山月記」の中の「臆病な自尊心」「尊大な羞恥心」。

人の反応を気にしすぎるのはまさに「臆病」。
なのに、強がって突っ張って突き進もうとするのは「尊大」さ。

プライドとポリシーに振り回され、凝り固まるのが成長を妨げる。

一事を成そうとしているんだ。
小事にこだわるのは論外。

自信過剰どころか自信などない。
ただ、自分を信じたい。
自分は何が好きなのか、何をやりたいのか・・・。

そしてそんな共通の思いを持った仲間を信じる。
焦るのではない、楽しいから急ぐんだ。

空路は空っぽの路。
未知なる可能性を秘めた路。

何ができるか、どこに繋がるか、ダレが歩むか分からない。

それってワクワクしませんか?

koo-roは表現を遊んじゃう奴らの集合体。
みんなで一緒に果てしない旅に出ませんか?

            遊劇旅団空路〜koo-ro 
4、5月は指輪ホテル関係や「浅間」と言う舞台関係でワラワラ過ごした総帥も、気がつけば6月だし、次の公演予定出さなきゃってんで・・・重い腰を上げた次第。

次回公演はセカンドステージにしてピンチ!

キャストがいない・・・。(汗

主砲はそのまま都内に居残り決意だわ、切り札というか秘密兵器は秘密のまま消えていきそうだわ・・・。

残るは・・・、自己主導型のキャストがいない。

まぁ、いい。
今は耐える時。
今を乗り切って、継続してこそ「強さ」さ。

素晴らしい制作が二人。
今、空路.ネット制作中。

明るい話も、実は有るんだが。

キャスト募集したいな〜。

ダンスレッスンもテンション上がらずつまらなくなるし。

頭を切り換えて、一から出直しさ。

とにかく、今は「継続」。
コレしかない。

8月公演。

コレを目標に・・・。

11月「キャンドル」再演。
リサとツヨシの新展開・・・。

来年から新たな関係で水平飛行するために、今成すべきことを。

総帥として・・・視点はずらせないから。

空路のみなさま各位

・・・楽しみましょう、みんなでワイワイやりましょう。
結果は後からついてきます!
そして・・・祝ってあげてください・・・。

では、今夜から歩み出します☆
準備はいいかい?

ご無沙汰で・・・

2004年4月6日
久々になったしまいました。

3月下旬は空路総出で指輪ホテルのお手伝い。

前橋公演に感動。
制作過程に立ち会えただけでも幸せです。

その辺をもっと細かく感想を書きたかったのですが・・・。

空路の両輪が崩壊気味なので・・・。

演出、制作揃ってココロのダメージが計り知れず。
しばらく創作意欲が喚起されそうにありません。

復活の方法さえ模索・・・。

いつか必ず立ち上がる時もあるから。
それまで・・・しばし休憩。

今週の稽古

2004年3月12日
火曜日 

ニョジが居なかったので静かに読み稽古。
鼻濁音ができない人が意外と多い。
美しい日本語を守るためにもしっかり練習しましょう。

木曜日

スタジオ稽古。つーかカナリ久々ダンスレッスン。
みんな息上がってるし。
その後さらに走らせた。
やせたよみんな・・・。

久々に見たニョジなんか顔が違ってたし。

ツッチーの元気ない姿が気になった。
体調不良か?
無理しないでね。
君が倒れるとみんな悲しむから・・・。
特に真如。

やっさんは掛け持ち稽古。
某所にはなんと総帥以外みんな参加してたらしい。
へぇ〜、ならオレが行けば去年の春以来久々にみんな集合稽古できたんだ。

・・・ざ〜んねん☆。
つーか、あり得ないって・・・まじで。
今まで舞台稽古になったも、全員参加による通し稽古ないんだもの。
本番は来週末です♪

最近、本格参加のサマキヌ。
遠路の参加サンクス。

どうですか?慣れてきました?

頑張って体動かしてくださいね。

ハリィの顔を随分見ていない・・・。
元気出せよ、としか言えないが。

だから、まこっちゃん。
今度こそ飲もうぜ♪

金曜日

個人レッスンに励んでください。

会合

2004年3月8日
Yという都内のカンパニーとの会合。

空路からの参加はハクイ、真如、ツッチー、やっさん。

ハクイは演出助手として勉強させて頂きます。
ツッチーは照明をしっかり学びましょう、舞台監督に付きっきりで助手となって下さい。
真如はプロデューサー付きでマネージメントを。
やっさんは舞台バランス。

各人がしっかり持ち場を守ってしっかり成長しましょうね。

プロの仕事を傍で学べるのはよいこと。

音響と照明がしっかりし、制作が動きを理解できれば劇団にとって強み。

あー楽しみ♪
客演劇団でのあり得ない稽古。
3/21本番なのに、なんでキャスト全員揃わないわけ?

しかも、演出がシーンの解釈で適当ほざくし!
見送りのシーンを「軽く」やれば?なの。

演出はどう考えているのか?と聞けば

「アナタはどうなの?」

オレの考えじゃなくて、演出はどう見せたいの?

「父親の包容力を・・・。」

なら、なんで軽いシーンにできるわけ?
適当に言うなよ。
演出だろ?アンタ。

「偉そうに言わないで、威張ってばっか。バカにしたモノの言い方しないで。」

してねぇよ。
聞いたら答えられず、キレたのそっちだろ?
もう少し勉強してください。

人見て振り返る自分。

演出、主宰に必要なモノが明確に見えた。
その点感謝。

あ〜、辞めたい。
不信感抱かれたなら結構。
つーか、何の不信感?
仕事が慌ただしく、稽古参加できなかっただけ。
しかも休んで久々に行ってもナニも変わってないし。
なら行かなくても平気だったじゃん。

やっさんが奮闘しても、限界を感じた今日。
疲れた・・・。
無駄は嫌いな性格だけに、疲弊感募る。

新展開

2004年3月1日
長老からの電話。

「お疲れ!良かったよ、よく短期間でまとめた。お前は演出だよ。もう役者やるな。」


おいおい・・・、好き勝手言うなよ。
と、思いながらも黙って聞く。
やるなと言われて止めるオレではないし。

「再演しろよ、舞台用意してやるから。」

はぁ・・・。
そんなに気に入ったの?
一部には理解されず、「何気ない日常を描くのはどんなものか?」と批判食らった作品を?

やるなら次回はツヨシに課題を課します。
見てろよ・・・。

すげぇものに仕上げてみせる。


次回作品も構想に入った。

理解されるされないではなく、認められるモノを確立します。

次回公演は勝負掛けます。

公演終了〜。

2004年2月29日
取りあえず・・・飛び出せました。

驚いたのは女優の没頭後の演技の変化。
本番に強い集団だ・・・。


リサの演技に感じた切なさ。
予想以上に可愛らしい仕草。

一番見せたい「葛藤」と「勇気」。
劇の中での成長する姿。

映画畑で育った自分はどうも映像から先に舞台を作る。
それをどう舞台に乗せるかが課題。

思ったより客の視点が散漫してしまい、主題が明確に伝わっていなかったような。

関係ない人の方が自然に見て感じていた気がする。

「共感」を得てくれた方も多かった。

ただ、身近な人ほど理屈で攻めてくる。
作品に伝えるべきモノなどない、こういうと平田オリザか・・・。

理屈で見たら共感できない舞台だった気がする。


というわけで成長させて行きます。

いよいよ明日・・・

2004年2月28日
飛び出します・・・、あ〜怖い。

いよいよ来たか。
本番かぁ〜。

準備は万端だよね?
大道具の仕上げは明日朝だが・・・。

音響、照明は万全・・・。


ツヨシ、本番中に意識を切るなよ。
没頭しろよ。
コイツの気性難は問題。
照明、音響のズレでやる気を失う。
だめよ!
アンタ役者ならそれさえカバーしなきゃ。

演出する上で扱いにくいキャラだよな。
まぁ、頑張れよ。

捷井殿、風邪が心配だ。
ナントカ・・・明日はもってくれ。

ツッチー、初照明なのに負担多くて済まない。

マコト、音響を楽しんでくれてありがとう。期待してます。

輝鈴、舞台監督業兼務・・・ありがとう。
明日は舞台裏の指揮宜しく頼みます。

ユッキー、アナタの美術にはいつも感動です。面白い!
体調平気ですか?最近お疲れみたいだし。

真如、映像から会計、制作まで幅広い活躍ありがとう。
キミの存在で空路は回ってます。

姫には総帥のお目付役をしていただき感謝。
重視している仕草のチェックも助かってます。

リサ・・・。
ツヨシのカバーありがとう。
最近のアナタは輝いてます。
明日は思いっきり楽しんでください。


力量足らずの演出はココまで来られただけで満足。
明日は観客のように純粋に楽しませて頂きます。

夜、思いっきり飲みましょう!

とは言え・・・

2004年2月25日
「アナタはヒューマニストね」

と、一言・・・姫の冷たい言葉。


いや、だから・・・。

「私がいたら・・・彼を追い出したわ」

・・・ははは。


「今後、どうするの?」

迫られた決断の意味。
しかし、切れない。

みんながうまく機能し、とんでもない軍団になりたいと願う。

ただ、失敗すると分裂がある諸刃の剣。


はぁ〜。

苦悩の耐えない総帥さ。


ただ、俺が一番大切にすること・・・空路を守る。
これ以外ない。

主宰として必要を感じた人でも、演出や舞台監督の邪魔になるなら・・・切るしかない。

コレは以前も悩んだ問題。
ダレであろうと・・・妥協できない。

本番近いのに、姫を中心にもたれた談合は辛いモノでした。

気合い入れ直して、本番に向けて頑張ります。

2/29 14時開演 群馬県前橋市内の小屋でやります。

やっちまったぁ〜!

2004年2月24日
しかし、本番何日前だ?

久々に来場下さった長老。
稽古中に助言を頂き・・・演出ともめる。
助言は的確ですが、的確故に痛い。
でも、分かっていて、それでもあえて目をつむった部分でして・・・。
しかし・・・。

「演出は何を考えている。」

すみません、でも・・・。

「言い訳はいらない。」

だから・・・。

稽古場で怒鳴り合い、駐車場で続き・・・。
劇団員はびびっただろうな。
あんなもんですよ。
日常茶飯事・・・とまでいかないが、今後も時々あるのでは?
だって、癖の強い二人ですから。

皆様、温かい目で見ながら同時に今自分が成すべきコトをよく考えてください。

あの後、ガストで楽しく演劇トーク。
妥協せずやり合って、すぐに談笑できる。
そんな関係に満ちた劇団でありたい。

しかし、演出とキャストを兼ねる場合・・・舞台監督は大事だな〜。
単に演出する場合でも、安心して動けたのは軍師の存在。

そんなこと・・・今月の頭には理解していた。
何が足りないのかなんて・・・。
そんな状況での出陣。
一騎打ちの連続で乗り切るしかないじゃん。

今は新野城の劉備状態。
臥龍を待ち望む。
育てる・・・さ。

というわけで、長老とは仲良しのままですからね。
ご安心を。
オレの甘えさ。
長老は師匠。
師匠に、いつまでも指導頂けると思ってる俺の甘さ。
彼はオレを「演出家」として見てくれてるんだ。
だから、議論になるんだ。
・・・頑張ります。

もう一度言うと、各人の主体性の大切さを認識してください。
ダレカがやってくれるわけではないです。
総帥も落ち度だらけ。
全体を感じ、提案あればどんどんして下さい。

本番は勢いを失わずに。
残りの日々、頑張りましょう。
楽しみましょう。
そう言う思いは必ず形になりますから。

しかし、総帥のピンチの時(要は動きが止まる時)、側にいる存在は素晴らしい。
意識的に動いてるなら・・・感謝。
大切な方ですなぁ〜☆
ナイスフォローですよ、マジで・・・。
そんな方もいるんだ。
演出家として・・・、皆様のためにも成長するから今後とも宜しく!

本番近いのに・・・

2004年2月23日
脚本読み直して演出変えようとしてるオレがいる。
一週間前なのにひどいオレがいる。

ツヨシ頑張れ〜♪

リサとのシーンをもっと印象深くしたくてさ・・・。
思いっきりやって下さい。
お前のタガは外してやるから。

しかし、電話のシーンでの小ネタも浮かんでしまい・・・。
これやったらギャグ色強くなるから長老の叱責が目に見える。

でも・・・やりたい♪

次回にするか・・・。

「プライド」を見てる。
久々にドラマをリアルタイムに見た。

竹内結子を見ると思い出す。
あんな会話あったなぁ〜・・・。
彼氏がいるのに・・・なんてのも・・・ははは☆

・・・ふれちゃ〜いけね〜。

空路に足りないのは体育会系なノリだ!
気付いた・・・。
でも、年末飲みの後リサに「ウチの飲み会は落ち着いていて良いですね。」と言われた気が・・・。
でも、あのときツヨシは意識飛ばしてたぞ♪
まぁ、いい・・・。

まぁ、いいか。
また飲みましょう。
総帥は飲み足りてません!

でも、呼吸疾患の恐れが・・・咳が止まりません。
今日も夕方、気付いていたら寝てました。
あ〜、疲れてるんだ〜まだ・・・。
どうしましょ? (汗

だから、気にしないで飲みましょう。

くそー!
ハリィすまん!
台詞増やして良いか?
読んでないことを良いことに・・・反論ないから快諾と受け取ろうかな。

ツヨシはリサを邪魔しない程度に遊ばせます♪

あ〜、明日の稽古が楽しみ!
あ〜、ひどい演出だ。
あ〜、明日は元気だとイイナ、おれ。
あ〜、最近病弱・・・マスク姿にはまり中。
美術さんと舞台監督(予定)さんと楽しくお買い物。
材木買って、段ボールもらって稽古場へ。

ベンチ作りに精を出す。
ツッチーのクッキーが美味かった。

ん?

そうじゃなくて、ベンチもイイカンジにできた。
しなりが微妙に気になるが・・・。

後は段ボールの魔術師ユッキーに・・・。
楽しみにしてます♪

しかし、大道具作りって楽しい!
次は何作ろうかな?
次回公演からはしっかり計画的に制作します。

みんなゴメン・・・。


ズミズミは遠征中止のため稽古に専念。
シーン返しも意見交換の活発ゆえに有意義に進行。
本番近い稽古って良い緊張感があって楽しい。

そんな満足感の中、壮行会と言う飲み会へ。

ウチの男キャストが誕生日でして。
一応祝ったみたい。
もっと飲みたきゃ本番で結果だしな☆

来週は本番まで怒濤の日々・・・。
頑張ろうぜ!楽しもうぜ!
火曜日の夜、稽古に行けば・・・体がついていかない。

熱っぽいし・・・。

水曜朝、医者に行けば安静にしてろと言われ・・・。
でも、大道具の材料を求めてブラブラする始末。

木曜日。

マスク装着姿にチョイ感動。
はまったし・・・。

舞台が出ていてラッキー。
臨場感を持って望んでまた思うこと。

足りないモノがたくさんあるなぁ・・・。


個性の強い集合体を維持し、成長していくよう舵取りするのって大変。
育成って面白いが大変ね。
まぁ、苦手ではないが・・・。


本番一週間前か・・・。
テンパルわけではないが、気合いを入れていこうと思う。

そこが不器用なオレ。

真如には心配掛けるね。
すまない・・・。

もう少し、上手く振る舞えるようになるからね。
今夜は反省しきりの総帥でした。

オレがしっかりしなきゃね!
頑張ります。
皆様の協力あればこその現在。
今後とも宜しくお願いします。
脚本による稽古で、脚本以外の会話が入ることがある。
それは脱線なのか?
日常会話において、目的だけを端的に伝達することがどれだけあるか?
とは言えリアルを追求することが必ずしも作品の質をあげるのか?
例えば、ラストサムライのキスシーンは史実の流れから見ればリアルではない。ただ虚構を成す作為と見ればギリギリを行く表現。
作為は主観、リアルを追うのは客観。
このバランスが難しい。リ
アルと作為は対立項ではなく、別次元の思考。

因果律思考はリアルであり、作為であり…。ストーリー的思考も主観であり、客観である。ただ、角度が平面的になり、深みが足りなくなる。裏をかこうとしすぎると作為が強くなり、即応できなくなる。
その上での「余韻と勢い」による表現とは?
もう一度認識しなおすために、即応を意識したエチュードを繰り返してみる。

都内で役者をやる方はフリーが多い。
フリーが多いと言うことは、呼ばれて脚本見て、いかに早く読み込み解釈して、その場で表現できるかが大事。
即応・・・しないと芝居以前に人間同士が絡めない。

エチュードなどでも、いかに「自然」に見えるか、どう見えるのか、いかに面白くやれるかを考えすぎてやると即応できない。
勢いは消える。
時にはその場でのコンタクトをしっかり意識したい。

「自然」にこだわることがある意味「リアル」への傾倒なんだと思う。
きっかけは主観である「作為」からなんだ。それを受け止め発展させるのがかけあい。「有り得ない」状況を真面目にやると存在しないリアルを感じさせる場合がある。
オファーとレシーブの関係により掛け合いが生まれる。次にどうしようと作為に作為をもって対応するとリアルでない、つまり不自然になる。
ギブアンドテイク。
頭での判断より、場を感じて素直に体を反応させることも必要。

うちは受け手ばかりで、作為をもって仕掛けられる人がいない。そのわりにはしっかりレシーブもしてない。

強烈な作為を持てる人同士の場面は勢いがでる。
それでも一度は受け入れてるんだ。
感度の高い受け手同士だと余韻が漂う。

しっかりとしたコンタクトを持てる役者の演技って基本なんだが、なかなか難しいものさ。

本番近いのに・・・

2004年2月10日
風邪が大流行中の・・・「空路。」です。


先週から音響がダウンしたり、復活したりを繰り返し・・・。
振り付けさんも倒れていたし。
輝鈴もなんか思わしくないし。
捷井は年がらバイク移動のため風邪が良化したのかしないのか。

自分だって・・・頭を触られると「熱・・・あるんじゃない?」とか言われる始末。
でも認めません、認識したら本当に風邪になっちゃうから。

で、メインキャストのダウンは効いた・・・。
通しできないじゃん!
代役でやったけど・・・本人とやりたい時期なのに。

誰を責めるわけでもないし、ただ辛い・・・。

木曜に勝負掛けます。


皆様も体調管理には気をつけてくださいまし。

崩壊・・・

2004年2月8日
あらゆる失望は虚無を導く

虚無は果てしない漆黒

光もないまま彷徨い歩く

光を求めるのか、暗闇に座り込むのか

答えもでないまま時の囁きに涙する

輝く雫は絶え間なく零れるだけ・・・。
ポテンシャルの高さが必ずしも表面化するとは限らない。
自分の才能を見いだせていないのか。
または引き出すための媒体に出会ってないのか。 
それとも、自己の外部表出を恐れ内にこもっているか。

いずれにせよ、自己客観視力に欠けているのであろう。
自分が見えると足りないものが分かる。
逆に自分の武器も見える。
そうすれば自己の生き方,活かし方が解る。
そしてそれを磨くための飽くなき葛藤が始まる。

ポテンシャルを感じさせながら、表出するモノに物足りなさを感じさせる。
そう言う人に限って上ばかり見る。
その場合、自分に自信がありすぎるか、自信が無さ過ぎるか・・・。
でも、自分はナニカできると盲信する。
自己肯定感だけはあるのだろうな。
ある意味、生き方は器用なのだろう。

よく器用、不器用と言う言葉を使う。
「大成するのは不器用な人。器用な人は本当のことを掴まないうちにどんどん進んでしまう。不器用な人は進むのが遅いが、とことんやらないと気が済まない。得心がいくまでやる人が多い。こういう人が大器晩成なんです。結局は器用に先にどんどん進んだ人を追い越します。職人は頭が切れたり、器用な人よりも鈍感で誠実な方がよろしいですな。」
この言葉はある宮大工の棟梁の言葉である。
不器用だからすぐにはできない。仕方がないから頑張ろう。自分にはそれしかない。こういう「頑張り」を生み出す日が不器用さなんだろう。

こうも言う。
「器用な人は頭も器用です。周りも社会も見えます。こんなに時間をかけなくてもできるのでは、早道を探したり近道を選ぼうとする。器用だからやればできるし、同時に他のことも考えられる。しかし、頭は器用でも体はそうではない。体に覚えさせるのは、言葉と違って時間がかかるし、体ができていないといずれ無理が来る。器用な子ほど怪我が多い。不器用な子は無理をしないです。急がない。」

器用に頭を使う人が必ずしも結果を残すわけではない。
不器用な人が頭を使わないわけでもない。
ある意味、ポテンシャルの高さを活かせないのは不器用なのだと思う。
では、なぜ活かせないのか?
そこには知恵が足りないのだろう。
自分が不器用だという自己認識は、自己客観視力によるもの。
どんな人でも最高レベルに出会ったら、自分の不器用さに気付くはず。
そのときどうするか?
そこで挫折し、諦めるのか。生きる術を考えるのか。
それが「不器用」という知恵だと思う。
知識や才能は活かして初めて意味を成す。

高村光雲は「万能的なのは一心が固まらぬせいか、心が籠もらないせい。」と言う。
一心に仕事をやれば心が入る。一心になるのは器用では難しい。不器用だから、一心になれる、一件遠回りと思える道をひたすら休まず歩める。

やってもやっても進まず、それでもやり続けていると、突然階段を上がることがある。その階段はドコにあるかも見えず、上がれぬかもしれない階段を求める姿は不器用でなければできない。

要は結果ばかり求める小賢しい生き方では理想は追えない。
一心不乱。
「バカ」になれるか。没頭できるか。
知識や常識にしがみつくのではない。
自分を知り、自分を活かせるのが知恵である。
この境地を理解でできるのは、やはり不器用な生き方なのだろう。

中には器用に生きて、器用に結果を出せる人もいる。
しかし、多くは不器用に葛藤しながら結果を追うか、諦めるかなのだろう。

自分のポテンシャルをどう引き出すか、どう活かすか。
表現者としての永遠の課題である。

1 2 3 4

 

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

テーマ別日記一覧

日記内を検索